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そこらへんの医大生が、なぜかSMAPをはなす

「アイドルっぽくないSMAP」が「アイドル」だったと思う理由

  • アイドルっぽくないんじゃなかったの?

今までに、SMAPは幼い私にとってアイドルらしくなかったという話はさせていただいたと思う。しかし今回話したいのはアイドルらしくないと思われがちなアイドルSMAPが、正真正銘のアイドルであったこと、だ。

アイドルらしからぬコントやバラエティー、さまざまな道を開拓してきたSMAP。いつも先頭を切り拓いていた。成長した私は、そんなSMAPにアイドルらしさをすごく感じる。 言語化しにくいのだが、中居くんはじめとして、彼らはファンが頭に描くSMAP、メンバーを描いてくれた。中居くんに関しては今でもそうだと感じる。一見アイドルらしく見えないが、そんなところに、実にアイドル性を感じてしまうのだ。バラバラに見えて、まとまる時は青春を走り抜ける少年たちのようにひとつになり、一生懸命になる。いくら年齢を重ねてもそうだった。そんなところが、まさにアイドルという存在を具現化したように思えた。

  • SMAPという少年たちの物語

若干10代でアイドル冬の時代にデビューしたSMAPは、王子様でも完璧な優等生でも大人の男でも可愛い男の子でもない、ただ私たちの側にも居そうな普通の無邪気な少年たち(もちろん顔は類い稀な美形)が6人同じ夢をみて、一生懸命に駆け上がっていく、そんな道を歩んでいったように我々(少なくとも私)の目には写り、歳を重ねてもその少年の面影はたびたび感じられた。それこそがオタクにとってのSMAPであり(実際そうかもしれないし)、SMAPはその姿を通したところがとてもアイドルだった。年を重ねると、何かに対して少年のように一生懸命になったり騒いだりすることを避けたり、あらゆる場面でグループについて問われた時ドライな返答になったりするものだと思うし、実際心情はそうやって変化してしまうことが多いと思う。それは悪いことではないし、むしろそんな移ろいが好きな人もいると思う。ただSMAPはいくつになっても、解散騒動まで我々のSMAP像を壊さなかった。「バラバラだし仲良いわけでもないし、でも分かりあっていて、ガヤガヤやんちゃして、大好きで、グループを愛していて、何かあればその分ひとつになれる。」そんな少年のような青春そのものの「アイドルSMAP」を長い間見せてくれたのである。それが嘘か本当かなんて分からないが、それが本当にSMAPがアイドルらしいと思う理由であった。

人によっては「ダサい」などと言うようなこともSMAPはした。必死になることがダサい、というような誰にでも心のどこかにありがちな風潮は、SMAPには微塵もなかった。それがかっこよかった。こちらが目を瞑りたくなるほどにがむしゃらになるアイドルが、SMAPだった。

上手くいかない時代に模索し、開拓し、必死に食らいついていつの間にかたどり着いたスーパースターの座。そしてそんな国民的アイドルが時に泣き、時にはしゃぎ、5人旅や27時間テレビなどという場でその物語を振り返ったりする。あの姿が意図的につくられたのか、自然とできた姿なのかはわからないが、そんな風に物語をさらに大きくしてくれるSMAPが、私にとってあまりきとアイドルだった。特に彼らはまだあどけない幼い頃からSMAPだったから、時がたった後の姿を見ると余計にその歩みを考えて、胸が熱くなるのかもしれない。 アイドルらしいグループが良いとか悪いとか言うわけではないが、根っからのアイドル好きの私としては、SMAPに惹かれるのは、こういったアイドルらしさが詰まっているグループだったからではないかと思う。

SMAPの歩みこそがSMAPという物語であり、そしてSMAPと時を経た我々の歴史でもある。