💍のブログ

そこらへんの医大生が、なぜかSMAPをはなす

SMAPという無意識の記憶〜大学生の私がSMAPを話す訳〜

私は生粋のKドルオタクである。ここ2年ほど好きだった善良グループが、韓国では長寿の10周年を迎えると同時に事実上解散したついこの前まで、中学生の頃からグループは変われどずっとKPOPアイドルだけ追いかけてかなりお金もつぎ込んだ。しかし私の一浪生活が終わろうとする受験ラストスパートの時期、なぜか私にSMAPフィーバーが訪れたのである。               

  • 私はなぜSMAPに辿り着いたのか

私も母も特にSMAPファンというわけでもなかったが、母がスマスマを見ていたので、小学生中学生の頃は私もよくスマスマを見ていた。当時まだ幼い私は、「おじさんがアイドルしてる〜」などという大変失礼な感想を持っていたのだが、火曜日学校から帰ってきたら、スマスマの録画を見るのが実は楽しみだったりした。母から昔のあのコントが面白かった、この頃のキムタクは本当にかっこよかったのよ、などと動画を見せられたりしていたし、周りの同世代と比べると、SMAPに触れていた。今考えると、当時はテレビっ子だったなぁと思う。

  • 解散、そして記憶

そしてまだ中学生の私が、一瞬スッと血の気がひくような気分になったのが、2015年年末(2016年年始?)の新聞である。(時期は定かではないのでご了承を。)芸能界の事情もよく知らない私は、焦っていた。同級生に年齢層的にもSMAPファンはおらず、なんとなく小っ恥ずかしくてSMAPが好きだという話もしなかったが(事実、特にファンであるわけではなかった)、この時無性に不安と悲しみと喪失感が混在した感情を持ったことを覚えている。

このニュース、そして公開処刑と言われた18日の生放送謝罪。母は「これ、もう解散だね。」と言っていた。私はというと「でも解散しないって宣言したんだからさすがに…」と言葉では言いつつ、どこかで一抹の不安を感じていた。その後の放送でも、以前とは違う5人の空気感を中学生でありながらも薄々感じ、その不安は大きくなった。

そして、母の言葉や私の不安は的中し、彼らは目にも止まらぬスピードで姿を消してしまった。

スマスマ最終回は数時間全部見て、そしてひっそり泣いた。中学生ながら憤って、信じたくなかった。私の楽しかった記憶が、私が過ごしてきた一部が、もう過去のものとなってしまうのが怖かった。

  • SMAPを思い出した、SMAPを求めた

SMAPはアイドルながら実に面白かった。長い月日が経ってもなお、正直最近のテレビとか、そこらへんの芸人のコントよりも、SMAPのバラエティやコントの方がずっと好きだった。バラエティに出ていたって他とは違う貫禄がある。私が無意識に過ごしてきた生活の中で、笑った中で、SMAPは大きな部分を占めた。だから解散してしばらく経ってからも、時々動画を漁ってSMAPが出ていた番組を見たりもした。SMAPを見ようと思う瞬間は、長い月日が経ってもときどきやってきた。

時は巡ってあれから5年の年月が経ち、私は再びSMAPのいた日々を思い出したのである。SMAPの曲の懐かしいメロディも、災害の時は必ず自分の言葉で発信してグループでもプライベートでも支援していたことも、その度に生放送や被災地で歌っていたことも、全部思い出した。そして日本が暗い時、知らない間に5人に励まされていたことに今更ながら気が付いたのである。大袈裟だと言われるかもしれないが、コロナ禍の今、もしSMAPがいたらもう少し世界が明るかったんじゃないか、と思うくらいに、彼らは当たり前のように元気を与えていた。彼らが被災地に赴いて、現地の人に直接触れて近距離で歌い、人々が明るく喜んでいる姿は、今見ても感慨深い。 何かあるたびに、SMAPが何かアクションを起こすのが当たり前だった。SMAPがテレビ越しに勇気付けてくれるのが当たり前で、彼ら自身の手で支援してくれるのが当たり前だった。いろいろあった日も、テレビをつけるとSMAPの誰かはほぼ毎日居て、なんだかんだ言って最後に笑ってから寝ることも多かった。そんな綺麗で明るい記憶が、自分の中にどんどん膨らんで蘇ってきた。ただ「戻りたい」そう思った。

思いがけず共通テストで転けてしまい出願校を悩んだ時期、出願校を決め開いたことのない大学の赤本を解いていた時期、ひたすらSMAPを聞いていた。そして泣いたりした。私のよく知る曲は王道の曲だったり母が口ずさんだりする曲だったから、私の生まれる以前のものが多かった。 オリジナルスマイルのような明るい曲を聞いて元気を出そうとしているはずなのに、聞いているとなんだか切なかった。無性に泣きたくなった。

この切羽詰まった状況で、若かりし頃の初々しいSMAPが歌っている様を想像したら、明るいイメージしか湧かないのに、なぜか胸がキュッとしたのである。

正直、SMAPは総合すると別に歌が上手いわけでもない。心に響く歌詞やしっとりしたバラードだってあるけれど、馬鹿みたいに騒ぎ倒すような曲だってある。(例:bang!bang!バカンス!)(好きですけどね)(超失礼)それでもSMAPが歌う曲をきくと胸が詰まる思いがする。あんな最後を迎えた彼らが昔はやんちゃな少年のように一緒に騒いで歌っていたことを考えると、どうもただの明るい歌と受け取れなかった。『オリジナルスマイル』や『can't stop loving』、まして『正義の味方はあてにならない』というトンチソング(好きです)を聞きながら泣いているなんて、側から見たら大した変人である。(特にcan't stopのサビで号泣していた思い出)

その理由はやはり、「SMAPが今はもう居ない」からだろう。しかもあんな無惨な形でテレビから消えてしまったからだ。「失ってから大切さに気がつく」とはよく言ったもので、失ってからの方が私はSMAPを求めた。

  • SMAPがよかった訳

特にSMAPファンでもなく、むしろジャニーズに対して良い印象を持っていなかった私が、なぜSMAPを求めたのか。

語弊を招くかもしれないが、SMAPは幼い私にとって、アイドルではなかった。SMAPはテレビスターであった。バラエティも歌もダンスもコントもドラマもするタレントだった。そしてSMAPは私にとってジャニーズでもなかった。幼い頃から私のテレビ、とりわけバラエティはSMAPと共にあり、SMAPは「カッコつけ」「キラキラ」「王子様キャラ」などという当時の私のジャニーズに対するイメージ(ごめんなさい)とは相反していたのである。

今、私にとってSMAPと近いと思うアイドルはいない。

どのグループもそれぞれ魅力があるのは分かっているが、いくつになってもなぜかガキっぽくてやんちゃで、それなのに若い頃から大人の雰囲気を醸し出していたSMAPを見返すと、なんだか凄まじいオーラを感じる。アラフォーだったけれど、どこか破天荒で一匹狼のような彼らが、少年のようなのに人生3周目?と思ってしまうような彼らが、当たり前に好きだったんだと気がついた。

テレビを愛し、テレビに愛され、テレビを賑わせたSMAPが、追っかけでもないのになぜだか誇らしく思うようになった。自分の記憶のどこかにいつもSMAPが居たから、それが不本意な形で消えてしまったから、それと同時に自分の生活の一部もぽっかりと穴が空いてしまったから、だから今も私はSMAPを求めるのだと思う。今の子どもは決して知り得ないあの輝きが、自分の生きてきた時代に存在したんだということを実感したいんだと思う。テレビにあんな良い時代があった、あんなにテレビを賑わせた、アイドルの概念を変えた国民的アイドルがいたって叫びたいんだと思う。特別なファンでも追っかけをしているわけでもないが、やっぱり5人を欲しているのは事実だ。(6人のSMAPが好きなのはもちろんのことだが。)

そしてその気持ちを、今楽しそうに活動する彼らに抱いてしまっている自分が嫌になるし、彼らが絶対に再結成したいと思っているという前提を検索よけ無しに、むしろわざと本人に目につくように真実として押し付けるファンには、正直モラルが無いのかとイライラすることもある。(追記:決して再結成を望む気持ちを否定しているわけではない。) 彼らの気持ちは彼らにしか分からないのだから。

今現在みんながそれぞれ活躍している。新しい地図の3人も最近どんどんテレビに復活し始めた。もちろん全員応援しているし、誰かがテレビに出ていると嬉しくなる。 それでも。また5人の作るあの空気が、番組が、笑いが、感動が、豪華なステージが、パワフルで圧倒されてしまう凄まじいオーラが、また見られないかと心のどこかで思っている。私の記憶の中に5人の圧倒的な存在感がある以上、私はこの気持ちから逃れることはできないのであろう。

                                                 話し足りないことはもっとたくさんあるけれどまた次回。